川柳徒然草

ビフォーアフター別人になるかがみ前

かがみは不思議な力を持っている。 古代の遺跡から出てくるかがみは、いずれも祭祀に利用されて、神と人との交信の役割を持っていたらしい。 多くの神社のご神体も、鏡である。 古代から人は、鏡に神秘的な力を感じているのだろう。 ...
川柳徒然草

立ち位置は変えぬが周りは大変わり

’立ち位置’という言葉がある。 元々は舞台用語であり、舞台上で役者が立つ位置のことで、大道具や相手役との関係で決まる。 全体の中の位置づけやポジション、全体の中で演じている役割や、期待されている機能や効果などを、幅広く指す言い...
川柳徒然草

豊かさを見つけ苦労がまた増える

豊かさには物理的なレベルの豊かさと、精神的なレベルでの豊かさがある。 これからは、物の豊かさより心の豊かさを求めるべきである、とよく語られる。 しかし、松下幸之助は「神ならばいざしらず、人間であるかぎり、心の豊かさとともに物の...
川柳徒然草

真っすぐに生きるといつも気がもめる

『老子』に「曲則全」(曲がれば即ちまったし)と言う言葉がある。 曲がった木は実用にならない。 そのため、伐採を免れ樹木としての生を全うすることができる、という意味である。 『老子』の哲学を、もつとも端的に語っている言葉の...
川柳徒然草

足るを知ると言いたいけれどまだ足りぬ

老子に「足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り」という言葉がある。 満足する事を知っている人間が本当に豊かな人間であり、不断の努力ができる人は志を持っている人である、という意味である。 自分が何を持っている...
川柳徒然草

脚下照顧足元ばかりで前を見ず

’脚下照顧’という言葉がある。自分の足元をよく見よ、という意味である。 よく、お寺等の玄関に掲げられており、一般には‘履物を揃えよ’と解釈されていることも多い。 もとは禅の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本...
川柳徒然草

モザイクかかる記憶の中に母は住む

母は、九十歳近くなったころ、自室でつまずいて足を痛め、しばらく歩行困難な時期があった。 その間、ほぼテレビが相手の生活だった。 一日中、誰もいないところでテレビだけを見ていたら、今置かれている空間と時間の認識が、あいまいになっ...
川柳徒然草

雑草に墓覆われる親不孝

彼岸前には、墓掃除に行く。 ところどころに、草ぼうぼうの墓を見かける。 墓を守る人が、来られなくなったのか、いなくなったのだろう。 わが国は、2004年(平成16年)の1億2700万人をピークとして、人口減少時代...
川柳徒然草

通夜帰りちょっと飲み屋で偲ぶ会

昔は、週に一二回は会っていた飲み仲間とも、月に一二度になり、年に一二度になり、最近はメールと年賀状の交換だけになってしまっていた。 突然の訃報が届き、通夜の席に駆け付けた。 現役を引退して永年経つと、葬儀も家族親族だけ...
川柳徒然草

ドッコイショつい声が出て周り見る

ヨイショとか、ドッコイショなどとつい口に出る。慌てて周囲を見渡す。いかにも高齢者ですと宣言しているようで、少し気恥しい。 ’どっこいしょ’という言葉には、なんとなく普通の日本語とは違う響きがある。語源を調べてみた。大きくは二つあった...
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