石川啄木の歌集「一握の砂」の中に、‘ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく’という歌が入っている。
故郷というものには、特別な感情が湧く。
とくに旅先で、聞きなれた訛りの人と会うのは、とても懐かしを覚える。
出張先で会議終了後、お決まりの情報交換会という名の飲み会があった。
少し飲み足らないと思ったので、ホテルにたどり着く前に、駅前の屋台に飛び込んだ。
しばらく飲んでいると、どうも大将の言葉に聞きなれた訛りがある。
聞いてみると案の定、おなじ故郷の出身者だった。
直ぐ後から、入ってきた客を大将が紹介してくれた。
彼も隣町の出身で、この近くで小さな会社を経営しているということだった。
すぐに意気投合して、故郷の話で盛り上がった。
私たちが子供のころは、近くに川有り海有り、野山もありという、遊ぶには最高の環境だった。
今では、鮒をすくった小川も、毎日のように泳いだ海も、チャンバラごっこで駆け回った山も、その姿はない。
子供のころ住んでいた地区は、ビルが建ち並んでいる。
その環境はすっかり変わってしまっている。
帰省するのも、何か寂しい思いがしますね、という話に落ち着いた。
ホテルのチェックインがすっかり遅れてしまったが、懐かしい楽しい時間だった。