‘空気を読めない’を略して’KY ’という言葉が、流行った時期がある。
‘忖度する’とか、‘顔色を窺う’いう言葉も、似たような意味だろう。
’空気を読む’とは、その場の雰囲気から状況を推察することである。
たとえば、自分が何をするべきなのか、するべきではないのかを考えて行動する。
あるいは、相手が何をして欲しくて、何をして欲しくないのかを憶測して判断したりすることになる。
相手の気持ちを察するのがうまい日本人は、‘空気’を読むことがうまい。
それが、すぐれた協調性や絆を大切にする心、などにつながっている。
しかし、空気を読みすぎるために、周りの空気の圧力に押されて、生きづらさや不安の気持ちを生じさせる原因にもなっているようだ。
個人の意思決定は基本的に自己の利益に基づいて決定される。
しかし、社会的場面では自己利益とは関係ない他者への報酬が意思決定に影響する場合がしばしばある。
「社会性志向者(=空気が読める人)」と「個人主義志向者(=空気が読めない人)」との間には、脳回路の働きに違いがあるようだ。
空気が読める人の脳内では、他人の喜びを自分のことのように感じられる、脳内での利益交換が活発に行なわれているらしい。
KYの人は、決断に迷うことが多いため、どうしても後ろからついていくことになるようだ。