「苦労は買ってでもしろ」、ということわざがある。
しかし、聖人君子じゃなければ、苦労なんかしたくないのが現実だろう。
辞書によると、苦労とは精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること、とある。
そんな思いまでしても、買わなければならない大切なものだろうか。
作家の藤本義一は「苦労は買っても、売ってはならない」と言っている。
なぜなら苦労話は大抵が自己中心的に展開する自慢話になり、聞いていても嫌になってくるから「苦労は口にするな」ということだ。
仏教に’少欲知足’という言葉がある。
「小欲の人は苦労が少ない、多欲の人は苦労もまた多い」という意味である。
苦労をたくさんしろということは、もっと欲を持てということかもしれない。
つまり、何かに挑戦しろということだろう。
そう考えると、挑戦することは失敗に結びつくことが多いので、苦労は買ってでも、というのは思い切り挑戦しろという意味の、別な表現かもしれない。
エジソンは「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」と言っている。
失敗を苦労とはとらえてないのだ。こう考えると、‘苦労’と言う言葉は、第三者に対して用いる言葉であり、自分自身に対して用いる言葉ではないようだ。
自分に与えられた事象から、前向きな意味を見つけ出すことが大切なことだろう。