方丈記の冒頭は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とある。
仏教の諸行無常を表している。
‘諸行’とは、因縁によって起こるこの世の現象を指す。
‘無常’とは、一切は常に変化し、不変のものはないという意味である。
平家物語の冒頭にも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とある。
空海が作ったと伝承されている‘いろは歌’の冒頭部分「いろはにほへどちりぬるを」も、諸行無常を詠み込んだものだ。
この世に存在するものはすべて、形も本質も常に流動変化するものだ。
一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。
この世のものはたえまなく変化し続けていると、事実をありのままに述べたもので、仏教の根幹をなす真理の一つとなっている。
ほとんどの宗教では、‘永遠に変わらない神’の存在を中心として、教義が組み立てられている。
しかし、佛教では‘永遠に変わらないものなどはない’と否定している。
人は、財産や地位、名誉から、人間関係や自分の健康に至るまで、様々なことを‘変わらない’と思い込み、‘変えたくない’と願う。
こうして、変化を受け入れず、現状にしがみつこうとすることが‘執着’であり、その執着心が苦しみを生む。
人生には、時間というリミットがある。
変化を、ありのままに受け止めて生きることが、楽に生きるコツだろう。