ジキルからハイドに変わる六杯目

川柳徒然草
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アルコール度数が5%程度のビールでも、中ジョッキで6杯も飲むとかなり酔っぱらう
酔っぱらうと、普通ではない言動をとるようになる
普段温厚な人物が、酔いが回るにつれ目が座り,くだを巻きそれが過ぎるとやたらに、からみ始める。
まるで人格が変わったようだ。

人格が変わることでは「ジキルとハイド」の小説が思い浮かぶ。
ジキルとハイドの物語は、1886年、イギリスの作家R・L・スティーブンソンによって書かれた中編小説である。

ジキル博士は、飲むと一片の道徳心ももたぬ人間・ハイドに変身する薬を発明し、ハイドになっている間は、道徳意識からの完全な解放を味わう。
この点では、アルコールの力を借りて、一時の「現実からの逃避行」を味わう「酒飲み心理」と共通する。
しかも、ジキルは回を重ねるうちに、薬を使わなくてもハイドのほうが常態となるようになり、悪の本能を満喫させる。
そして、次第に悪から善にもどれなくなり、悲惨な最期を遂げる、という物語だ。

ユング心理学に「ペルソナ(仮面)」と「シャドウ(影)」という概念がある。
人はTPOに応じていくつもの仮面を使い分けている、ということだ。
ペルソナとは自分の外的側面、つまり「周りの人に見せる自分」である。
我々の、普段の姿であり、いわば「ジキル」の部分と言える。
シャドウは、自分の「無意識」の中にいる「もうひとりの私」である。
普段は抑えこんでいる一面であり、まったく正反対の自分ともいえる。
まさに、自分自身の影の部分であり、「ハイド」の部分である。

ヒトは必ず、表の性質と正反対の性質を備えている
そして、普段は隠れている影の部分は、抑圧から解放されると表に顔を出す。
表の部分、すなわちジキルの部分もその人の本性だが、裏側のハイドの部分もまた、その人の本性である。

そうは言っても、ハイドの部分はあまり人に知られたくない部分が多い。
したがって、限度を超えたアルコール摂取によって、醜態をさらし人格を疑われる事態はなるべく避けたい。

ヒトは誰でも、隠れた一面があることを意識して、適度なアルコ-ル量で抑えるように心がけたい。
数多い失敗経験を踏まえて、そう自制している……つもりである。