火炎土器縄文人のロマン見る

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博物館で’火炎土器’を見た。

実際には、火焔型土器(かえんがたどき)と呼ばれ、縄文時代中期(約5千年前)に使用された土器である。

主に新潟県の信濃川流域から出土する。

粘土紐を張り付けて作られた、深鉢型をしている。

口縁部から4ヶ所に、大きく立ち上がった特徴的な把手状の突起がある。

燃え盛る炎のように見える’のこぎりの歯’のような形をしており、’鶏頭冠’と呼ばれている。

1936年に、新潟県長岡市の馬高遺跡で発見されたものが最初であり、ほとんど東日本で200個以上が発見されている。

日本独特のデザイン形式であり、弥生時代の土器とは比較にならないほど装飾性に富んでいる。

お焦げが付いたまま発見されたものもあるということで、実際の煮炊きに使用されていたらしい。

 火焔型土器を始めて見た岡本太郎は、これを見て「なんだ、コレは!」と叫んだ。

そしてその芸術性を高く評価して、それがきっかけで世間に広く認知されることになった。

近くの糸魚川周辺でとれるヒスイも、縄文時代中期のこの時代には、北海道や沖縄まで運ばれている。

佐賀県の唐津周辺の山からとれる黒曜石も、矢尻としてほぼ全国の遺跡から見つかっている。

五千年も前の、装飾性にあふれた独特の芸術的感覚をもち、全国に交流の輪を広げていた縄文人のことを思うと、壮大なロマンを感じる。

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