’一隅を照らす’という言葉がある。
天台宗の祖・最澄の言葉である。
「照于一隅此則国宝」と書かれており、「一隅を照らすこれすなわち国宝なり」と読む。
二番目の字‘于’は音読み「ウ」、訓読み「に、において、いく、他」である。
「照于一隅」と書き「一隅を照らす」と読み下すという統一見解が、天台宗勧学院議において出されている。
しかし、最澄の真筆を見ると「照千一隅此則国宝」とされており、「一隅を守り、千里を照らすこれ則ち国宝なり」と解釈する人もいる。
一般には、社会から見落とされている片隅を照らし出すような、行いをする人またはすること、ととらえられている。
しかし一隅を、自らの心の片隅だと解釈する場合もある。
一人ひとりが自分の立ち位置である一隅を照らしていくこと、それが積み重なることで世の中がうまく出来上がっていく。
陽明学者の安岡正篤は、「社会のどこにいても、その立場においてなくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない」と述べている。
まず目の前のこと、今自分にできることを一生懸命やる。
そうやって一人一人が灯す小さな光がやがて大きな光となる、という意味だととらえている。
一人ひとりが、自分なりの一隅を照らすことが大事なのだ。