早急に善処しますと口ばかり

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「霞が関文学」という分野がある。最近は、永田町文学とも言われる。言質をとられない言い方、柔軟な解釈が可能で、後々逃げることができるようなあいまいな話法や文章を特徴としている。政界や官界で、各方面の顔を立てる、あるいは責任逃れをするためのものだ。

かつては、官僚が省益を守るためや、リスクを回避するために、さらには政治家に抵抗する際などに使われることが多かった。近年は、政治家が保身のため、国会答弁などで『霞が関文学』を駆使するようになっている。省庁によっては、用語集まで作られ新人研修に使われているようだ。

実際に使われている用語の、ほんの少しの例を挙げてみる。‘1丁目1番地’は、最重点政策や最重要課題のことであり、かなり一般化している。‘お経’は、法案審議に入る前に、大臣が読み上げる提案理由のことである。あらかじめ作成された説明内容を淡々と読み上げるだけであり、まるで僧侶が読み上げるお経と同じだからこう呼ばれる。

「善処します」という言葉もよく聞く。一般的にとらえれば、前向きのようだが、ウラでは「一応、努力はするが、期待に応えられる保証はない」ということである。つまり、体裁は作るが成功させるまでやるかどうかは分からない、と言っている。言われたから仕方なくやるという、本音が丸見えの言葉である。

永田町文学では、解釈が多様にとれる用語が使われているのでむつかしい。

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