「苦中作楽(くちゅうさくらく)」ということわざがある。
元は、苦しいことばかりの世の中で、この世界に心がとらわれて、それを楽しみと思い込む、という自虐的な意味だったようだ。
そこから苦しいことでも、苦としないという意味に変わり、苦しい中で楽しみを作り出すこと、となった。
忙しくても、余裕のある生き方を表す。
陽明学者であり、昭和史の黒幕と言われた安岡正篤の座右の銘『六中観』に、「苦中有楽(くちゅうらくあり)」という言葉がある。
「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある」として、「苦の中にこそ楽を観つめよ」と言っている。
幕末の大阪で、福沢諭吉などの偉人を輩出した、緒方洪庵の‘適塾’には「苦中有楽苦即楽」の額が掲げられていた。
苦しみの中に楽しみがあり、極めれば苦しみは、即楽しみとなる、とかなりストイックなに表現だ。
夏目漱石は『草枕』で、「喜びの深きとき憂愈(うれひいよいよ)深く、楽(し)みの大いなる程苦しみも大きい。之を切り放さうとすると 身が持たぬ。片付けやうとすれば世が立たぬ」と言っている。
もともと、苦楽は相対的なものであり、苦の中に楽あり、楽の中に苦がある二重構造になっている。
苦しみの中に楽しみを見つけること、または楽しみの中に苦しみを見つけることは、視点を変えただけである。
世界を、多角的に見る習慣づけが必要だ。