また一歩冥土近づく誕生日

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門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」は、一休禅師の狂歌である。
『狂雲集(きょううんしゅう)』という歌集に出ている。
昔は、年齢を数え年で数えていたため、正月がくれば一つ年を重ねた。
一休さんは、正月の飾り物である門松を一里塚に見立て、人生を旅に例えて、歳をとるとは死が近づくことであると、正月に頭蓋骨を持ち京都の街中を歩いた。

この狂歌には“門松は冥途の旅の一里塚 馬駕籠もなく泊まり屋もなし”という別の歌も伝わっている。馬も駕籠もなく泊まり屋もなしとは、誰が付き添うわけでもなく、一人旅であるということだ。

「冥土の道には王なし」という言葉もある。
死者が行くあの世では王も庶民もなく、すべての人が平等だということを意味している。
したがって王であっても庶民であっても、人間は死から逃れられない運命にある。

アンチエージングと言われ、老化抑制や防止の方法が研究されている
若いネズミの血液を高齢ネズミの体内に入れたところ、筋肉等がほぼ若返ったことが確認されている。
両生類のイモリは、尻尾や脚がちぎれても元に戻る。
心臓や脳、目の一部を切り取っても再生する。
これは、高齢になっても変わらない。

これらの仕組みを人間に応用できれば、人は永遠に生き続けることが可能になりそうだ。

それほど長生きしたくはないが、誕生日が死に近づく日だと怯えることはなくなるかもしれない。

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