墓標は要らぬ櫻一本植えてくれ

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阿蘇外輪山の内側の、阿蘇五岳の南側に’一心行の大桜’と呼ばれるヤマザクラの巨木がある。

室町時代末期に戦いで散った、この地方を収めていた城主とその家臣たちの霊を弔うために、一心に行をおさめてこの木を植えたことから、この名がついたとされている。

今の時季は菜の花畑の中に、薄紅色の花の巨大な塊を見ると圧倒される。

この桜を見ていると各地にある桜の巨木は、何らかの祈念的な意味を持っているのではないかと想像する。

一本だけで、圧倒的な存在感を持って立っている姿を見ると、まさに‘孤高’という言葉がぴったりだ。

「北斗の拳」のケンシロウに、「俺の墓標に名はいらぬ」という名文句がある。

そもそも、墓標とは墓の印であり、死者の名前や業績等が刻まれたものである。

名前が無い墓標なら、墓標そのものもいらないということじゃないかと、つまらぬ理屈を考える。

死して名を残すと言われるが、後世に残るほどたいそうな業績を残せるとは思えないし、つまらない名など残してもしょうがない。

それなら、桜の木でも植えてもらえれば、時期が来て巨大な花の塊を付け、多勢の人が楽しんでくれる。

後世の人に名前を覚えられたり、思い出してもらう必要はない。

その時を、精いっぱい楽しんでもらえる場と時を提供できるのであれば、意味のあるものを残したことになるはずだ。