一病に慣れて生き抜く自信湧く

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無病息災という言葉がある。‘無病’は病気をしないことである。

‘息’には‘止める‘、’鎮める‘といった意味があり、そこから息災は’災いを鎮める‘ということを表す。

もともと‘息災’は仏教の言葉で、‘病気や災害といった災いを、仏様の力で止める’という意味であり、転じて‘災いもなく元気であること’をいう。

人は皆、完全に健康でありたいと願っているはずだ。

しかし、高齢になるとあちこち故障が生じて、無病というわけにはいかない。

そこで、’一病息災’という言葉が使われるようになった。

まったく健康な人よりも、何か一つくらい軽い病気を持っている人の方が健康に気を使うので、かえって長生きするということだ。

内田百閒は随筆『一病息災』で、「病気と云ふものは、あの世へ行く道筋であり、或は近道でもある。

無病息災の人人はその道に踏み迷ひ……」と言い、「どうせいやな所へ同じ様に行きつくものなら、寧ろその道筋だけでも踏み馴らした方がよくはないか」として「一病息災で結構であるからその一病を大切にし、一病の道の果てを目の届く限り眺める様に心掛けたい」と言っている。

彼はいろいろな病気を抱えていたが、そういうものだから仕方ないと言い、勝手な理屈を付けて酒を飲み、ごちそうを食べている。

82歳で老衰のため天寿を全うしたのだから、見事な生き方である。