祝辞代読スポットライト眩し過ぎ

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来賓あいさつで、代読しなければならないときがあった。

予め原稿は渡されているのだが、自分の文章でないからリズムが違って、読みにくい。

噛んじゃいけないと要らぬ緊張をするので、ますますリズムが気になり、スポットライトを浴びているため、汗まみれになる。

ボブ・ディランがノーベル賞を受けた時、授賞式の晩餐会で在スウェーデン米国大使アジタ・ラジ氏により代読されたスピーチを読んだ。

彼は、受賞の連絡を受けた後ですぐに、シェークスピアのことを考え始めたという。

シェークスピアは、‘文学’としてあの作品を書いたのだろうか考えたそうだ。

そして、シェークスピアの作品は、ステージために書かれたものであり、読まれるのではなく話されるためのものと結論付けている。

そして、“これは文学なのか?”という質問は、シェークスピアの中では最も縁遠いものだったと確信していると語っている。

また、ディランは5万人の前で演奏するよりも、50人の前で演奏する方がむつかしいと語っている。

5万人では’一つの人格’に見えるが、50人の場合は、一人一人が自分だけの世界を持っており、物事を自分の世界で明瞭に理解することができる。

そのため、演奏家は誠実さや、それが才能の深さにいかに結びついているか試されることになるそうだ。

ボブ・ディランの歌を、改めて聞き直してみた。