弁解とは、自分のミスや過ちを正当化するために、事情を説明し言い訳をすることであり、言いひらきをすることである。
弁解する状況では、こちらに弱みがあり、押しまくられている感じがある。
こちらが不利だと分かっていると、反論もできない。
しかし、攻めまくられていることにも腹が立つ。
やむを得ず、無言の抵抗を示すことになる。
弁解に終始していると、頼りない人にみられ、反省しない人と思われかねない。
ナイチンゲールは、「私が成功したのは、決して弁解したり、弁解を受け入れなかったからです」と語っている。
弁解には、マイナスのイメージが付きまとう。
弁明は、相手の非難などに対して、誤解を解くよう事実を説明することである。
こちらの言い分をしっかり述べており、相手と対等な関係にあると考えられる。
古代ギリシャの哲学者プラトンによる『ソクラテスの弁明』は、死刑を宣告されたソクラテスが堂々と自分の意見を述べている。
その中には、有名な「無知の知」という言葉も述べられている。
知らないということを知っているのだから、知らないことを知っていると思い込んでいる人物よりも自分の方が上だと言っているのだから、すごい。
妙な言い訳に終始するよりも、謝るべくところは謝り、自分の言いたい点はしっかり言っておくことだ。
結果的には、上手な世渡りのコツになると思う。