釣り糸が生への執着伝えくる

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「 #釣れない釣り人は哲学者。 釣れた釣り人はただのお調子者」と、作家の夢枕獏は語っている。

同じく作家の開高健は、「釣りとは絶対矛盾的、自己統一である」と、かなり哲学的な言葉を残している。

‘部分強化’という心理学用語があり「その部分を強化したからといって、必ずしもその部分が強化しない」ことを表している。

分かりやすく言うと、ある行動に毎回、ご褒美を与えるよりも、たまに与えたほうが、何度もその行動を続けるようになるということである。

釣りやギャンブルは、この部分強化に当てはまるケースである。

毎回釣りに出かけたからといっても、必ずしも成果があるわけではないし、必ず賭けに勝てるわけでもない。

しかし、釣りやギャンブルというのは、‘たまに’大きな成果を上げることがある。

このようなことから、部分強化は全強化に比べると、結果が出た時に得る快感が大きい。

これを繰り返しているうちに、依存症になってしまうようだ。

ギャンブル依存症は困るが、釣り依存症程度なら世間の基準では許容範囲内だろう。

釣り好きな人の中には、釣果を期待して準備をするのが楽しいと言う人もいるが、一人だけの時間を堪能できるのも楽しみなのだろう。

釣り上げた魚を、鼻高々と友人知人に配って回るのも楽しみのようだ。

新鮮な魚をいただき、それを刺身で食べる楽しみを持つものとしては、いつも釣果を期待して待っている。