’野仏’は、地方都市の町はずれでよく見かける。
野仏がたたずんでいるような場所では、バスはめったに来ない。
たまに来るバスに乗るため、田舎の人は早めに来て待っている。
屋根も無いバス停で、老婆がお地蔵さんに日傘をさしかけているのを見ると、「日本はいいな」とつくづく思う。
野仏は、地域の守り神として、あるいは供養塔や道しるべとして、人々の生活と深い関わりを持ってきている。
最も良く見られるのが地蔵菩薩であり、子供を守ってくれる仏として、涎掛けがかけられていることが多い。
道祖神は、路傍の神として、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られている。
村の守り神、子孫繁栄、また交通安全の神としても信仰されている。
道祖神は塞(さえ)の神とも言われ、幸の神・歳の神などと呼ばれている地域もある。
‘さえ’とは‘さえぎる’の意味で、本来は悪霊や疫病など邪悪なものが集落に入り込んでこないように、辻村境・峠などに祀ってきたのが始まりらしい。
野仏では、観音様や不動明王なども見かけるようだ。
いずれも、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために、村の守り神として主に道の辻などに祀られている。
野仏は、さまざまな民間信仰と結びつき、その表情もゆたかだ。
素朴な願いが生んだ野仏は、今も人々の心のよりどころとなっている。