時間は、流れるものと思われている。
流れるもので、代表的なものは川だ。
北海道で、小さな川にあふれるほど遡上しているサケを見た。
あのサケは、これから産卵をして一生を終えるのだ。
新たな‘生’のため’死’に向かい、流れに逆らって川をさかのぼっている。
時間の流れにさかのぼるというのは、新たな‘生’に向かっていることだろうかと、哲学的・詩的なことを考えた。
アメリカ・ミシガン工科大学の物理学者チームが、「インターネットで時間旅行者の証拠を探す」という研究を行った。
タイムトラベルについて、インターネット上で「時間旅行者がうっかり、あるいは意図的に残した未来についての記述」を探すことだった。
ここでは” comet ISON(アイソン彗星) ” と、” Pope Francis (フランシス法皇)” という架空の言葉を用意して、ネットで探した。
もし、未来から来た人間がいたら、これに有意義な反応をネット上に残すだろうと予想したのである。
しかし有効な反応は無かった。
未来から来た人間は、今のところ見つかってない。
アインシュタインの相対性理論によれば,物事の後先はしばしば確定せず,経過時間は重力によって変化する、という。
時間というのは観測者によって変わるもので,唯一絶対の時計というものはなくなってしまった。
我々が時間を感じるのは,自分自身を世界から切り離して,物事を見ているかららしい。
時間は、個人的なもののようだ。