窮すれば見かねて神が顔を出す

この記事は約2分で読めます。

「貧すれば窮する」と言うことわざがある。

貧しくなると困ってしまう、と、ごく当たり前のことを言ってるだけである。

後ろに「窮すれば通ず」がつながる。

最悪の事態に陥ってどうにもならなくなると、かえって活路が開ける、と言う意味だ。

このことわざを見ると、じっと待っていれば何とかなるよ、と言うような相当楽観的な考え方が浮かぶ。

このことわざのもととなっているのは、中国の古典『易経』にある。

「窮すれば即ち変ず 変ずれば即ち通ず 通ずれば即ち久し」である。

‘窮す’と‘通ず’の間に‘変ず’というプロセスが加わる。

「窮すれば即ち変ず」は、困った時には変わらなければいけない、ということ。

「変ずれば即ち通ず」は、変われば通じるようになる。

「通ずれば久し」は、通じれば長く続く、ということである。

古代中国の哲学と宇宙観である『易経』の基本、変化の法則を示している。

また『易経』には、「君子は器を身に蔵し、時を待ちて動く。何の不利かこれあらん。動きて括ぼれず、ここをもって出でて獲ることあり」もある。

能力を蓄えながら時を待て、時が来たら外に出よ、ということだ。

じっと待つのではなく、自ら変化を起こしてこそ’通ず’である。

宇多田ヒカルは「Wait & See ~リスク~」で、「変える力をちょうだいよ」と歌っている。

窮すれば、じっと待つのではなく、自らを‘変’じることだ。そうすれば、’通’じる。