秘すれば花と何か有りげなそぶり見せ

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「秘すれば花」ということわざがある。
室町時代の能の役者・作者、世阿弥が『風姿花伝』に残している言葉である。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と後に続く。
秘密にすれば花だが、秘密にしないと花にはならない、ということだ。
ここでいう’花’とは、観客に思いも寄らぬ感動を与えることである。

世阿弥は、芸道の秘伝というものは、秘して他人に知られないことにより、最大の効果を発揮する、という。
誰も気付いていない珍しさ、意外性により、感動を生む芸となったり、ライバルに勝つ秘策となるのである。
秘することそのものが、芸に最大の花すなわち感動を生むということである。

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざが有る。
本当に有能な者は、むやみに能力をひけらかしたりしないというだ。
裏を返すと、たいした能力のない者にかぎって、でかい態度を取り、弱い者には力を誇示ようとする、ということになる。

ところで、鷹は爪を隠さない。
というか、隠す必要がないのである。
トラとかライオンとか、猫などは、獲物に忍び寄るため、地面を這うように低い姿勢で迫る。
爪を出していたら引っかかって歩きにくいし、足音も出やすい。                                              そのため、爪を引っ込めておく。
しかし、空を飛ぶ鳥類は、わざわざ爪を引っ込めておく必要がない。
だから、能の有無に関わらず、鷹は爪を隠す必要がない。

いづれにせよ、隠すべき’花’は持ちたいものだ