強いほど影も濃くなる自己主張

川柳徒然草
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ワグネルの創設者、プリコジンプーチンに対し、反乱未遂事件を起こした。
プリコジンにとって、一か八かの、強烈な自己主張だったと思う。
SMSで、普段から強烈な不満を発信していたのだから、追い詰められて、こういう行動をとっただろう。
強烈な自己主張の裏返しにある、強烈な影の部分かもしれない。

日本人は、自己主張が苦手とされている。
自己主張をするような人間に対しては、自分勝手な人間とか、協調性が無い人間などといった評価をされる。

しかし、自己主張とは、人間が社会において、自己の意見や考えや欲求などを他人に伝えることである。
自己の意見や考えを持ってないのならともかく、有るのであれば明確に示すのが正しい生き方ではないだろうか。
国際化が進み、海外の人たちとの交流が増えてくると、自己主張をしない人間というのは情けない人間であるとみなされることがある。

自己主張の強い人は自分の意見をはっきり言うため、本音を隠しておくのが苦手で、裏表のない発言をすることが多い。
正直な人だと思われるが、自分の意見に固執しすぎると、周囲との関係をぎくしゃくさせてしまう。

老子は『道徳経』で、「和光同塵」という言葉を使っている。
‘和光’とは、自分の持っている道徳的品性や秀れた才智の輝きを、表に出さないこと。
‘同’は同化で、人を感化して自分と同じくさせること。
‘塵’はちりやごみの事で汚れた現実の世界。
簡単に言うと、実力を隠して周りと調和することが望ましいとしている。

しかし現代社会では、目立つことで価値を見出される。
自己を明確にし、自己主張、自己アピールをして 自己を輝いて見せることも大切なことだ。

ただし、ギラギラした輝きではなく、いぶし銀の輝きでいたい。


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