たった一つ残っていたおはぎを、妻と半分に分けて食べながらテレビを見ているときは、幸せ感一杯だ。
‘おはぎ’は、和菓子の代表的なものの一つである。もともと、和菓子は季節の移り変わりを、身近に感じさせる。
おはぎを通じて、自然や四季の美しさとのつながりを感じることも多い。
しかし、おはぎと‘牡丹餅’とはっきり区別がつかない。というか、世の中には、かなり混乱して伝わっている。
’おはぎ’と’ぼたもち’の違いは、春の牡丹の花が咲くころに食べられるから牡丹餅、秋の萩の花が咲くころに食べられるのがお萩と呼ぶという説がある。
また、こしあんを使うのが牡丹餅、粒あんを使うのがおはぎ、という説もある。
気になるので調べてみたら、どちらも少しずつ正しくて、理由まで知ると同じものになった。
おはぎは、もち米とうるち米を炊き上げて混ぜ合わせ、その周りをあんこで包んでいる。
もち米とうるち米は、粒を少し残すのが一般的である。
おはぎは、外側をあんこで覆っている。
おはぎは、彼岸の頃の萩の花に見立てて‘お萩’と呼ばれた。
秋まつりなどでは、子供にとって最高のお目当てとなる。
ぼたもちは、牡丹の花が咲く春の季節のお彼岸に、ご先祖さまへのお供え物にされるため作られた。
粒あんのザラッと見た目を萩の花に見立て、こしあんのつるっとした見た目を牡丹の花に見立てているという説もある。
秋に収穫したばかりの小豆は皮が柔らかく、そのまま皮も潰して食べられるため、秋のおはぎには粒あんが使われていた。
しかし、ぼたもちを作る春には皮が固くなってしまっているため、皮を取り除いたこしあんが使われていた。
それで、おはぎはこしあん、牡丹餅は粒あんとなっている。
おはぎは米をつぶして作るため、米搗きの音がしない。
それにひっかけて、夜は船がいつ着いたのかわからないから「夜船」、冬の北窓からは月が見えないことから、‘搗き=月’知らずで「北窓」と粋な呼び名もあった。
いかにも、江戸期のしゃれの利いた名付け方だと思う。
こうして、様々な呼び名を聞いてみると、それなりに納得する。
もっともらしい顔をして、おはぎでも牡丹餅でも、目の前に出されれば、喜んでいただく。
おはぎは、一口で食べるには少し大きいので、半分に切って食べることになる。
半分に切ったのを、一緒にテレビを見ている妻に手渡す。
幸せの時間を、分け合うことになる。
幸せの、お裾分けである。
‘しあわせ’なんて、全く主観的なものだかから、本来わけられるものではない。
しかし、自分の幸せ感を少しでも感じてもらえれば、相手も幸せになるのではないだろうかと、勝手に想像して半分手渡す。
美味しいものをいただき、ついでに幸せもお裾分けするのだから、一層しあわせが倍増する。
素敵なことだ。