表彰状を渡す際の「以下同文」というフレーズには、なんとなく違和感が湧く。
コメディアン小松正雄の名ギャグ「表彰状、あんたはエライ! 以下同文…」は、まさにその違和感を突いてネタにしている。受賞者の憮然としたとした表情が目に浮かぶし、渡す側の言いようのない後ろめたさも窺えて、「以下同文」というフレーズが持つ微妙なニュアンスを浮き彫りにする。しかも、表彰式の本質を捉えた問題提起でもある。
なぜ「以下同文」がこれほど白けた感じを生むのだろうか。それは、表彰の場が特別な瞬間であるにもかかわらず、その個別の尊重が省略されていることである。
受賞者にとって、その瞬間は名誉であるはずが、「以下同文」という言葉で一括りにされてしまうと、本人だけでなく周囲の人々も「みんな同じなんだ」という印象を抱いてしまう。つまり「その他大勢」として扱われているように感じてしまう。これでは、受賞の喜びや感謝の気持ちが薄れて、折角頂いた拍手も白々しくなる。
特に、努力や成果が認められた瞬間に、形式的な言葉で片づけられると、その価値が損なわれるように感じる。まるで大量生産された商品に印字されたスタンプのようなものだ。一人ひとりがかけがえのない存在であるにも関わらず、画一的な言葉で評価されることで、個人の尊厳が損なわれてしまう。
また、渡す側も「手を抜いた」と思われるかもしれないという、後ろめたさが湧く。時間節約のため同じ文面を何度も読み上げるのを省略し、早口で読み上げ「以下同文」で片づけるのだが、ここで受賞者への敬意が欠けているのではないかと感じる。
列席者にとっても、同じ文言が繰り返されることで、段々と興味が薄れ、なんとなく白けた雰囲気になる。
では、この「以下同文」問題をどう解決すべきだろうか。
まずは、表彰状を渡す際に、受賞者一人一人に対して異なる言葉で賞賛を贈ることだ。たとえ短い文でも、個別に対応することで、その人だけの特別な瞬間を演出できる。また、表彰状自体の形式を見直すことも一案である。もっと柔軟でユーモアを交えた表彰の方法を取り入れれば、場が和み、受賞者も観客も楽しめるのではないだろうか。
より具体的には、受賞者一人一人に異なる表彰文を用意することだ。例えば、学校の卒業式では、教師が生徒それぞれに対して個別のコメントを添えることがある。それにより、受賞者は自分が認められているという実感を持ち、心からの喜びを得られる。また、企業の表彰式でも、たとえ短い一言でも、受賞者に合わせたメッセージを添えることで、特別な瞬間を演出することが可能である。
もう一つの解決策として、表彰状自体の形式を柔軟に見直すことが挙げられる。表彰状は、単なる紙切れではない。言葉の力によって、人を感動させ、励ますことができる、特別な存在である。例えば、手書きのメッセージカードを渡されると、受賞者は個別に尊重されていると感じ、場の空気も和やかになるだろう。
表彰式とは、単なる儀式ではなく、一人一人の努力や成果を称える大切な機会である。だからこそ、形式的な「以下同文」に頼るのではなく、心からの言葉で受賞者を讃えることが重要である。表彰式の演出を工夫し、受賞者一人一人に対して特別な瞬間を作ることで、「以下同文」というフレーズを避けることができる。少しの工夫で、受賞者の喜びも、会場全体の雰囲気も大きく変わるだろう。
表彰式は、受賞者一人ひとりの努力を称える場であり、その瞬間を大切にすることが重要である。受賞者一人一人に対して特別な瞬間を提供することを最も大切にするべきだろう。形式的な言葉で片づけるのではなく、心からの感謝と敬意を込めた表彰状を手渡すことが、真の表彰式のとしての意義を高めるはずだ。
折角の晴れ舞台だから、表彰を受ける側も渡す側ももっと晴れやかな気持ちになりたい。
列席者も、心から受賞者を祝福したい。感謝と敬意を込めた言葉で締めくくりたいものである。