相撲は、20俵の‘たわら’で円形の土俵を作っており、その中で勝負する。
20俵のうち,東西南北の4俵は、普通の俵より俵の厚さ分だけ外側にずらしてある。
かつて、相撲は屋外で行われていたので、雨水を流し出すために取りはずしてあった俵の名残りだという。
相撲の勝敗では、ほかの俵だと踏み切って負けになるときでも,ここなら残ることがあるので「徳俵」の名が生まれた。
「徳俵に足がかかる」とは、土俵上で内外の境界となる徳俵に足がかかることから、追い詰められた状態を表わす。
しかし、厳密にいえば、徳俵に足がかかっているということは、すでに他の俵で作られた円周の外に出ているということで、負けのはずだ。
それが、俵の厚さ分だけ土俵内とみなされ、まだ勝負がついてないことになる。
同じような意味で、相撲から来た「剣ヶ峰に立たされる」という言葉がある。
剣が峰とは、俵の上の事であり、‘剣が峰に立つ’という言葉は、すでに俵の上に乗っており、もう後の無い状態という意味である。
同じように追い詰められて後がない状態だが、徳俵に足がかかっていることは、俵一枚の厚さだけ生き延びており、逆転の可能性も残っている。
わが国のビジネス慣行は、一度の失敗で剣が峰に立たされることが多いが、せめて徳俵でもあれば、再起できるケースも多くなり、チャレンジの意欲も生まれるのではないだろうか。