考える葦だからかな すぐ揺れる

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人間は考える葦である、とパスカルは言った。パスカルは、自然界の中で人間は弱い存在であるが、考える知恵があるからうまく生き抜いている、と言っているようだ。

つまり人間は、自然界の厳しさを知恵によって克服し、繁栄しているととらえている。そこには、多分に自然を支配しているという、キリスト教的意識が根底にある。

河原で風にそよいでいる葦を見ると、確かに柔軟性がうかがわれる。強風に煽られても柔軟に対応して、倒れることはない。そよ風には、柔らかく揺れて対応する。自然に柔軟に対応し、河原の広い範囲ではびこっている。

この言葉を別な意味で素直に受け取ってみると、今の人間社会にぴったりする。大型の風が吹いてきたら、地面にひれ伏すようにして、風が頭の上を取り過ぎるのをひたすら待つ。厳しい向かい風の時は、特にそうだ。強がって向かい風に立ちむかい、ぽっきりと折れてしまっては何もならない。小さな風にさえ、びくびくして勝手に揺れる。

自然は力でねじ伏せたが、社会的な力には蘆のように、ひたすら柔らかく対応し上手く受け流す知恵が必要だ。直ぐ揺れるのも、厳しい世間を生き抜いていくには、正しい手段の一つだろう。

葦の柔軟性は、こういう場で見習うべきものかもしれない。