コロナの影響もあり、家の中に閉じこもっていることが多い。毎日、昨日と同じ日が流れるように感じる。
なんとか日常の中に、非日常の部分を作らないといけない。
しかし、年齢を重ねると、経験や知識が蓄積され邪魔をして、日常の中に非日常を感じにくくなるようだ。
日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けていた。
日常の‘ケ’の生活が順調にいかなくなることを、‘気枯れ’すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復するためケガレをはらった。
‘気を良める’=‘清める’であり、ケガレを落とした後の清々しさが「ハレ」である。
どうぜ同じ時間を生きるのだったら、少しでも多く楽しんでおきたい。
一度しかない人生だから、楽しまなければ損だ。
そのためには、わざわざハレの場を作らなくても、日常の中に非日常を見つける工夫をすれば良い。
非日常は意識的に作り出せる。
日常を惰性的に生きるより、その日常の中にあるわくわく感を見つけることが大切だ。
そのためには、日常を主体的に考え、能動的に行動を起こすことだ。
何気ない行為の中にも楽しさを見出す、ゆとりの気持ちが感じられ、遊び心たっぷりである。
そうすると、見えてくる世界も大きく変わってくるだろう。