仏像を見るのが好きである。
仏像を眺めていたら、安心感を覚えリラックスできる。
時には、好きな仏像から爽やかな風を感じることがある。
仏像と向き合っていて、正面から感じる風だから、建物を通り抜けている風とは思えない。
こんな時は、やはり’霊気’というものがあるのかなと思う。
’気’は、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっているようだ。
一般的に不可視であり、流動的で運動し、何らかの作用をおこすものとされている。
『荘子』では気の集合離散が、万物の生成消滅という変化の原因であると説明している。
また陰陽の相反する性質をもった気によって、多様な世界が形作られるとした。
気功術を練習していたころ、中国まで修行に入った先輩から、手も触れずに‘気’によって倒されたことがある。
道場の中で、約5メートルの後方から、気を送ってくるのであるが、その気によって右に左に振り回され、とうとう引き倒されてしまった。
後ろから、強い力が働きかけてくるのがよく分かった。別の仲間も、同様の結果だった。
テレビで、離れた場所から電子的な操作によって、脳に信号を送り被験者を右に左にと振り回していた。
脳の働きに関する大学の研究だったが、気功術の経験とすり合わせて、ますます‘気’の存在を信じるようになった。