スタートはしたがゴールは知らぬまま

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人生には、望むか否かに関わらず一斉にスタートさせられるケースがいくつか存在する。まず、出生によって人生のスタートを切らされる。学校生活も、その年齢に達したら一斉にスタートである。定年というのも、無理にでも第二の人生へのスタートを切ることになる。

スタートをしたからには、当然ゴールが設定されているはずだ。出生の場合、ゴールは当然’死’だろう。それ以外はほとんどの場合、個人の判断にゆだねられる。

目標設定には、二つのタイプがあると言われる。「何をするか」というに”やりたいことDo“ に重きを置くタイプと、「どうありたいか」というの‘Be’ の部分に重きを置くタイプである。

しかし、自分はどうありたいか‘Be’が分かっているからこそ、そのためには何をするか‘Do’という行動目標が明確になるのであり、結局、目標はどちらでもよいことになる。目標がないと悩んでいる人のほとんどが、目標は「何かを成し遂げること」だと思っているようだ。

“やりたいこと”は、”どうありたいか”の手段に過ぎない。‘どうありたいか’は、自分で見つけ出すものであり、自分の好きなように決めてよいものである。それによって、’やりたいこと’が明確になるはずである。いま自分が‘どうありたいか’を考えることにより、その時々の答え‘やりたいこと’は見つかる。

ゴールは、自分で設定すればよいのだ。