「弘法も筆の誤り」ということわざがある。
弘法大師は、日本の書道史上の最も優れた、平安時代初期の‘三筆’の一人である。
平安時代末期の『今昔物語集』巻十一の第九話に「亦、応天門ノ額打付テ後、是ヲ見ルニ、初ノ字ノ点既ニ落失タリ」とあり、「応」の字の‘最初の点’がいつのまにかなくなっていたようだ。
弘法大使は、書き損じた点を、筆を投げて補ったとされている。
間違えたのは、‘応’の‘心’の点が足りなかったと伝えられているが、’最初の点’と言うからには、’応’の‘がんだれ’を‘まだれ’に書き違えたと考えるべきだろう。
「弘法筆を選ばず ということわざもある。
能書家の弘法大師はどんな筆であっても立派に書くことから、その道の名人や達人と呼ばれるような人は、道具や材料のことをとやかく言わず、見事に使いこなすということだ。
しかし、弘法大師は遣唐使として大陸に渡った際に、筆を作る工房で優れた筆の作り方を習っており、遺した書からも、逸品と呼ばれるような高級な筆を使っていたことがわかっている。
大師は、平安初期の漢詩集『性霊集』に、「良工まずその刀を利くし、能書は必ず好筆を用う」という言葉を残している。
良い職人はまず何よりも先に道具を研ぎ、優れた書家は必ず良い筆を使用する、ということだ。
名人は道具を大切にメンテナンスし、良い道具を使用する、ということだと思う。