ロシアの、プリコジンの乱はあっけなく終息した。
騒動の間、大統領プーチンは一度だけテレビ演説をしただけで、動静は不明のままだった。
しかし、乱が終息後はしきりに大衆の前に姿を現している。
しかも、もっみくちゃになるほども密集の中に入り、子供にキスをするなど、サービス旺盛だ。
しかし、彼は要人との会見でも、超の付くほど長いテーブルの両端で顔を合わせるほど用心深い人物である。
それが、あの大サービスである。
何か不自然だ。
あのような振る舞いができるのは、よほど大胆な人間か、よほど国民を信頼しているのかどちらかだが、プーチンがそのような人物とは思えない。
したがって、広く噂されている’影武者’が動員されているのだろう。
影武者は、権力者や武将などが敵を欺くために、自分とよく似た風貌の人物を身代わりとさせることである。戦乱の時代では、戦闘に際して武将と同じ衣服や甲冑を着用させた部下によって敵方を欺き、陽動作戦を行なった。
現代でも、特に独裁者や強力な指導者は、その地位や権力を常に脅かされており、影武者の存在が話題に上ることも多い。
1990年に、米国のリサーチ企業が、第二次世界大戦中のイギリス首相ウィンストン・チャーチルの演説20件を分析した。
そのうち、3件が別の人間の声によるものだと判明した。
2008年には、旧ソ連の独裁的な指導者だったヨシフ・スターリンの影武者を務めていた事実を、当時88歳のフェリックス・ダダエフが公にさらした。
‘元の木阿弥’ということわざがある。
戦国時代、大和国の武将・筒井順昭が、わずか2歳の子(のちの筒井順慶)を残して死ななければならなかった。
この時代、周りが敵ばかりである。
幼子が家督を継いだと知られたら、即刻攻められ一族は滅ぼされる。
そこで、子が成長するまでの時間稼ぎとして、順昭は自分と風貌のよく似た僧侶・木阿弥を影武者とした。
影武者・木阿弥は、順昭と同様の待遇を受け、贅沢な暮らしが用意された。
しかし、子の順慶が成長し無事家督を継いだ時点でお払い箱となり、元の僧侶・木阿弥に戻った。
影武者は、人目に付くように行動しなければ存在理由がなくなる。
そして、必要な時だけ大切にされる存在である。