東京の都心では、○○跡地という石碑をときどき見かける。
東京駅の、日本橋口前には「北町奉行所跡地」がある。
桜吹雪の入れ墨で有名な、遠山の金さん(遠山左衛門尉景元)が3年間ここで奉行を務めた。
江戸町奉行の職務内容は、江戸内の行政・司法・警察など多方面に及んでいる。
いわば東京都知事に、警視総監と東京地方裁判所判事を兼務したような存在である。
定員二名で南北両奉行に分かれ、月番で交替に執務していた。
遠山の金さんは、若いころ少しぐれて侠客連中とも付き合っていたようだ。
その影響で、入れ墨伝説が生まれたらしい。
彼は、時の老中・水野忠邦に彫物を禁止するよう進言しており、その本人が彫物をしていたとは考えられない。
実際に二の腕に彫物をしていた、町奉行・根岸鎮衛と混同されたようだ。
景元は天保の改革の際、老中・水野が芝居小屋を廃止しようとしたが、これに反対して浅草猿若町への小屋移転だけに留めた。
これに感謝した芸能関係者が、景元を賞賛する意味で、『遠山の金さん』ものをしきりに上演し、人気を博した。
将軍徳川家慶から裁判ぶりを激賞され、奉行の模範とまで讃えられた。
後に、南町奉行も務めており、両町奉行を務めたのは遠山景元だけである。
ちなみに、大岡越前守忠相も務めていた南町奉行は、JR有楽町駅中央口前にある地下広場入口(円形屋根)のマルイ側に、「南町奉行所跡」の碑が立っている。