高齢になると、枯れてくるものなのかもしれない。
無意味に過ごす時間も増えている。
ちょっと反省している。
織田信長の頃は‘人生わずか五十年’だったが、今や百年を目指す時代になっている。
せめて九十まではまともに体も動き、頭も働いたとすれば、八十からでも十年ある。
十年あれば、何か新しいことに挑戦できるのではないかと考えた。
夏目漱石は、あれだけの作品をわずか十年足らずで書き上げている。
漱石は、いろいろ世のしがらみに縛られながらの十年である。
こちらは、ほぼ自由気ままな十年である。
同じ十年でも、こちらの方が実質的に使える時間はものすごく多い。
漱石ほど頭は働かないにしても、やることを絞れば何か目立つ実績が作れそうだ。
とりあえず、人生でやり残していたことを、一つ一つ片付けることにする。
幸い、時間はたっぷりある。
脳の前頭野や海馬は、いくつになっても増加するらしい。
そのためには、記憶をする、意思決定をするなどの行為を通して、脳細胞のトレーニングをしておく必要がある。
脳細胞のトレーニングには、新しいことへの挑戦が最適だと聞いた。
何がやれそうか、経験やら知識を総動員して探してみる。
何かやれそうだという意欲だけはしっかりある。
肉体的衰えはいかんともし難い。
しかし、精神的に挑戦の意欲を持っていたら、まだまだ長生きできそうだ。