萩原朔太郎の詩に「青猫」というのがある。
詩集のタイトルに使ったほどだから、よほど愛着のあった詩だろう。
朔太郎は青猫のことを、英語のblueから「希望なき」「憂鬱なる」「疲労せる」の意味を含んだ、「物憂げなる猫」のことだと、述べている。
そして詩集の題名の『青猫』は、「都会の空に映る電線の青白いスパークを、大きな青猫のイメーヂに見てゐる」としている。
青白いスパークから、どのようにして青猫につながったのか、詩人の感性がなければわからない。
「青猫」を読むと、大都会東京へのあこがれと、疎外感、孤独感、憂鬱などをイメージしているようだ。
都会には、華やかさと同時に独特の憂鬱や絶望などのイメージを持っている。
コロナウィルスに浸食された都会の、普段は華やかなネオンきらめく夜の街には、寂寥感が漂う。
ネオンの文字が一部消えたまま、修理もされずに放置されているのを見ると、経営者の悔しさや絶望感が伝わってくるようだ。
こんな時、裏道にふと入り込んで、ごみをあさっていた猫にじっと見つめられると、ことさらその感が強くなり、憂鬱感が増してくる。
猫がどのような色をしていても、朔太郎の’青猫’が浮かんでくる。
別に、青じゃなくてもよいだろうが、この場合は‘青’がぴったりくる。