耳当たり良い話だが何か有る

この記事は約2分で読めます。

『孔子家語』に、「良藥口に苦けれども、病に利あり。忠言耳に逆へども、行ふに利あり」という言葉がある。
「よい薬は飲むと苦いが、病を治す力がある、忠言というものは、素直には聞けないが、役に立つものである」という意味である。

中国の歴史書『史記』には、「甘言疾也」という言葉がある。
甘言は疾(やまい)なり」と読む。人の気に入るようなへつらいの言葉は病のもとである、という意味である。
この言葉の前には「苦言薬也」(苦言は薬なり)、厳しい諫めの言葉は薬である、と書かれている。

読みが同じ‘かんげん’でも、’諌言’の方である。
諌言は、目上の人の過失などを指摘して忠告することや、その言葉である。
徳川家康は、合戦で一番槍の軍功を立てた者よりも、主君を諌める者はまさに失うものであり、得るものは少ないが、先駆けの功名者より賞すべきであるとして「諫言(かんげん)は一番槍に勝る」という言葉を残している。

脳科学の研究によると、脳が実は頻繁に錯覚を起こしていることがわかっている。
脳は意外にいい加減であり、だまされやすい器官である。
「事実は、真実とは違う」 と言うが、脳が甘言によってだまされることで、真実と事実を誤認して誤った判断を下してしまうのだろう。

‘耳当たりのいい話’とは、美味い話、いい話、自分にとって都合がいい話のことだ。
‘耳当たりのいいことを言う人’とは、聞いた時に嬉しくなったり、いい気分になれる話をする人である。
ストレートに言えば、お世辞ばかり言う人ということである。

うまい話ばかりの人とは、用心して付き合わなければなるまい