ほどほどに生きほどほどに死ねばよい

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’ほどほど’というと、かなりいい加減な響きがある。

世の中の出来事や自分の生き方について判断に迷う時、ほどほどがいいと言って、曖昧なことで妥協することがままある。

似たような言葉に、‘中道(ちゅうどう)’がある。

’中道’とは、佛教の根幹をなす言葉の一つである。

釈迦が悟りを開いた後、初めての説法を行った際、出家した者は、さまざまな対象に向かって愛欲快楽を求めること、自ら肉体的な疲労消耗を追い求めること、この二つの極端に近づいてはならないと語った。

つまり、享楽は虚しいだけであり、苦行は辛いだけである。

そのどちらに身を置いても、心の平穏は得られないとしたのである。

釈迦は、城を出た後厳しい修行を行ったがそれに息詰まり、苦行を放棄した。

その後、通りかかった村で、スジャータという娘から粥を恵んでもらい、歌を聞かされた。

「琴の弦はきつく締めすぎると切れてしまうが、緩く締めると音が悪い。琴の弦は、適度に締めるのが望ましい」という内容だった。

その歌を聞いた釈迦は、それまでの苦行が間違っていたことに気がついた。

そこから、中道という思想が生み出された。

囚われない、偏らないという思想である。

人間は自分で勝手に決めたものに、依存し固執して生きている。

しかし、それらに囚われず、偏らずに自分の生き方をしなければならないのだろう。

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