朝帰りをしていたら、街中のごみ漁りに出かける烏の鳴き声や、犬の吠え声に驚かされる。
カラスの鳴き声を耳にすると、「月落ち烏啼いて 霜天に満つ」という漢詩が頭に浮かぶ。
この『楓橋夜泊』は、唐の詩人・張継が、蘇州の楓橋という橋のそばに船を止めて夜を過ごした時の早朝の風景を歌ったものである。
寒山寺はこのそばにある。
寒山寺は、’寒山拾得’の故事でも知られている。
寒山は人の名前であり、拾得と二人合わせた書画がたくさんあり、多くの人に親しまれている。
寒山拾得図は、一度見たらその強烈な印象は、忘れられない。
図柄では寒山は巻軸を持ち、拾得は竹箒を持っていることが多い。
二人とも、髪はのばしっぱなし、顔は垢まみれで、衣はところどころ切れたり破れている。
季節に関係なく一枚きりの法衣を着ている。
ボロを着ているのになんだか誇りや自信に満ちており、ニタリと不気味に笑い、世間を小ばかにしたような不遜さもうかがえる。
「時の人 寒山を見て各(みな)謂う 是れ風顛(ふうてん)なりと」と述べている文章がある。
寒山は、フーテン呼ばわりされていたようだ。
白隠禅師は寒山を褒めている。
心が高潔であれば、見かけに構う必要はないということだろう。
しかし、人は見かけで判断されることが多いので、今の時代にこの生き方は通用しそうにない。