余生とは言えぬやりたいことばかり

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人生も終盤近くなると、余生を楽しむという言葉を耳にすることが多くなる。

余生とは、盛りの時期を過ぎた残りの生涯とか、残された人生という意味だという。

この言葉には、人生の残りをのんびり過ごしてゆくような響きがある。

しかし、人生百年時代ともなると、余生と言われる時間がとてつもなく長くなる。

その時間を、余生というような、‘余った’時間的感覚で過ごしてよいものだろうか。

瀬戸内寂聴は、「余生とは文字通り余った生なのですから、いつ死んでも悔いがないように、その日その日を十二分に充実させて生きて下さい」と語っている。

理論的には、人間は大きな病気が無ければ120才迄生きられるらしい。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」として、自己実現の概念をうちだした。

これは、 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求のことである。現在では広く学術用語として、より‘幸せな生き方’‘憧れの生活’など心の充足度を表す際に使われている。

心の充足とは、何かに依存することなく本来の自分のままになり、創造的な活動を続けていくことだと思う。

自分の物差しで生き方を選択し、人とのつながりや、知的好奇心を大切にして生きることだろう。

枯れるにはまだ早い。

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