仲間と飲みに行った時の話題は、肩の凝らないものが良い。
職場の上司の悪口や、仕事の愚痴なんか聞きたくもない。
その点、天下国家を論ずるのは、自分が総理大臣になったようで気分が良い。
大体、その時の論議の通り世の中が収まれば、平和と繁栄は間違いないと思えて、気分も高揚する。
中国の『礼記』・大学に「修身斉家治国平天下」という言葉がある。
天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである、ということだ。
儒教の基本的な政治観を表している。
ところで、太宰治が『懶惰の歌留多(らんだのうたかるた)』でこの言葉に触れて自説を述べている。
「けれども、ときどき思うのであるが、修身、斉家、治国、平天下、の順序には、固くこだわる必要はない。
身いまだ修らず、一家もとより斉わざるに、治国、平天下を考えなければならぬ場合も有るのである。
むしろ順序を、逆にしてみると、爽快である。
平天下、治国、斉家、修身。いい気持だ」
『懶惰の歌留多』は、結婚したばかりの太宰治が、原稿の締め切りに間に合わせるために、やけっぱちになって、歌留多形式で自分の思いを吐露している。
自分の怠惰癖をネタにして、ひたすら原稿を埋めている。
その中に「ろ……牢屋は暗い」とあり、この文章が続いている。
やけっぱちで書いただけに、そのころの太宰の心情が垣間見えて、面白い。