余生とは言えぬやりたいことばかり

川柳徒然草
この記事は約2分で読めます。

人が死ぬときに最も後悔することは、やりたいことをやらなかったということだという。
つまり、やりたいなと思っていたことに挑戦しなかったという後悔である。

いよいよ死ぬ間際に、やりたかったことを思い出しても遅い。
何かに機会に、自分のやりたいことを整理しておくことが、後悔しない人生を送るために第一にやることだろう。

バケットリスト(Bucket List)というものがある。
個人が一生のうちにやり遂げたいと思うことや、経験したいことをリストアップしたものだ。
映画「最高の人生の見つけ方」では、主人公が病床でバケットリストを作り、退院後二人でその目標に挑戦していく物語だった。

‘余生’とは、盛りの時期を過ぎた残りの生涯であり、残された人生である。
余った人生’という意味だ。
しかし、この期間に要りたいことをたっぷりやるとなると、「余生」なんて暢気にしておれない。
つまり、余った人生ではなくなる。
自分らしく生きるために、与えられたチャンスなのだ。

道元禅師は、『正法眼蔵』で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書いている。
一生をかけて求めていくテーマが‘生’と‘死’であり、そこには余るところなどない。

永平寺に「道元禅師からのメッセージ」として、以下の言葉が掲げられている。
   人生に定年はありません
   老後も余生もないのです
   死を迎えるその一瞬までは人生の現役です
   人生の現役とは自らの人生を
   悔いなく生き切る人のことです

『方丈記』を書いた鴨長明は、50代で出家し、山里に4畳半ほどの庵を結んで隠遁生活を始めた。
そして、人の世の無常をつづった『方丈記』を書き上げたのが58歳。
亡くなったのは、その4年後である。
‘人生わずか五十年’のこの時代に、かなり長生きして‘老後’も充実した人生を送っている。

ゴッホ展に行った。
ゴッホの荒々しいタッチに触れて、感激した。
あわせて、ゴッホが画家として活躍したのは、たった十年にすぎないことを知った。
その間に、素描を含めて約2000点の作品を残している。
十年の重みを感じた。

良寛は「死ぬときは死ぬるがよろしく候」と言っているが、よく死ぬこととよく生きることは不可分である。
’良く生きる’ことを、考えなければならない。


タイトルとURLをコピーしました