いぶし銀という表現がよく使われる。
ベテランの渋い味を表していることが多い。
一見した美しさというより、渋さや奥行きを持っていて‘魅力的な人’という意味に捉えられている。
目立たないが実力があり、しかも縁の下の力持ち的な存在の人のことをさしている。
‘いぶし’とは、金属に硫黄の‘すす’で曇りをつけることであり、キラキラとした光沢はなくなる。
若さによるきらめきを前面に出していたものの、それが通用しなくなって‘円熟み’の表現に変更したのだろう。
なんだか、負け惜しみのような気もする。
高齢になると、ギラギラしたものはなくなるが、蓄積した経験や知識を生かす場はたくさん出てくる。
ハーバード大学の調査では、年を取るほど向上する能力があることが明らかになっている。
記憶力と認知のスピードには加齢に伴う低下が見られたが、言語力、空間推論力、単純計算力と抽象的推論力は向上していた。
さらに、被験者の15%は高齢になってからのほうが、若いときより記憶力が優れていたのだ。
円熟味などという言葉で現実をごまかさなくても、堂々と光り輝いたままでよいではないか。
‘いぶし’銀にならなくても、銀のままで値打ちがあるのだ。わざわざ‘いぶす’ことはない。
何時までも、光り輝いていたい。