国会討論などを見ていると、政治家の議論の進め方に、違和感を覚えることがある。
端的に言えば、議論に‘強い’ものが勝者となるようである。
議論に強いことを、しばしば’黒を白といいくるめる’という言葉で表現されることがある。
議論とは’自分の説を述べあう’ことだが、これは’真実’である必要はない。
‘真実’とか’正しさ’は、ある集団の中で通用する倫理のようなものであり、社会全般に通用する基準ではない。
要は相手の言い分など関係なく、自分の基準に無理やり従わせた方が勝つのである。
その方法は、本人にとっては’論理的’なのであろうが、かなり詭弁も入り込んでいる。
詭弁とは、主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤っている論理展開が用いられている議論の進め方である。
したがって、誤っていることを正しいと思わせるように仕向けた議論である。
論理学においての’詭弁’は、’人を欺くためにもっともらしく見せかける偽りの論法’とされ、’誤っていることを、正しいことだと思わせるように働きかける’こととされている。
要は、言葉巧みに相手を騙すことだ。
故意に間違った方向へと議論を進め、無理やり押し付ける感じが強い。
詭弁にだまされないようにするには、言葉の定義を定めておくこと。
話の筋を外さないことが大切だ。