砂時計は、時刻を計ることができず、時間を計測するタイマーとしての役割だけが機能する。
時刻を測ることのできないので、いわば’用のない時計’である。
しかし、多くの場所で砂時計を見かけるのは、不思議な魅力を持っているからだろう。
砂時計の、少しずつ落ちる砂を見つめていると、時間が流れていくのを感じ、言葉にはできない満ち足りた感情が生まれてくる。
砂時計は過去・現在・未来が一目にして解る。
砂が落ちてゆく下の部分は過去、上の残りの砂が未来、真ん中のくびれの細いところを砂が通過する時は現在である。
‘未来’の時間が‘現在’を通り、‘過去’へ流れてゆく。
‘現在’は‘過去’と‘未来’の間に存在するが、一瞬にして過去になることが目に見える。
こうしたことから、ヨーロッパにおいて砂時計は死の伝統的シンボルであり、命の刻限が次第に減っていくことへの暗示とされている。
砂時計の砂は流れているが,いわゆる液体でもないし固体でもなく’粉粒体’ と言う。
この粉粒体は流れているときは液体のように振る舞うが,止まると固体になってしまう。
また、大量にある時も、ほとんど残っていない時も、流れ出る速度は一定している。
そのため、時間を計ることができる。
砂時計の場合、砂が全部落ちたらひっくり返せば、また初めからやり直せる。
すごく、うらやましい。