五百羅漢 五百の過去を捨てた顔

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五百羅漢を祀ったお寺が各地にある。

’羅漢’というのは、‘阿羅漢’とも言う。

羅漢は、煩悩をすべてなくした人のことで、小乗の悟りを得た聖者のことである。

もはや、学ぶべきものがないので‘無学’ともいう。

釈迦没後、その言葉を残すために仏典編集会議が開かれたが、第1回と第4回会議には、それぞれ 500人参加者した。

ここから、仏教で供養尊敬を受けるに値する 500人の人々と言う意味で、五百羅漢の信仰が生まれた。

500人もいるのだから、きっと知っている人の顔が有ると言われる。

しかし、飲み仲間の顔に出会うと、煩悩を全て無くした顔には見えなくなる。

煩悩を全て無くすというのは、過去のしがらみを解き放ったということだ。

禅に「放下著(ほうげじゃく)」と言う言葉がある。

‘放下’とは、投げ捨てる、放り出す、と言う意味である。

‘著’は命令の助辞で、放下の意を強める。

すなわち煩悩や妄想ばかりか、仏や悟りまでも捨て去り、すべての執着を捨て去れ、すべてを放下せよ、ということだ。

西郷隆盛は、「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬ人間が、一番扱いにくい」と言った。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、「過去ばかり振り向いていたのではダメだ。自分がこれまで何をして、これまでに誰だったのかを受け止めた上で、それを捨てればいい」と言う言葉を残した。

ただ捨てれば良い、ということだけでもないようだ。