終着駅明日は始発の汽車が出る

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終着駅という言葉には、もう終わりだというもの哀しさが伴う
始発駅というと、新たな門出のイメージが強くなり、ポジティブなイメージが湧く
しかし、終着駅と始発駅は、同じ駅だ。
言葉一つというか、ちょっとした見方の違いで、同じものでもこんなに差が出るのだから面白い。

人生も、終着駅に近づいていると考えると、間もなく終わってしまうような気持ちになり、寂しい。
つい、ネガティブな気持ちが沸いてくる。
ものの見方も、ついマイナス面からみてしまうようになる。
永年生きてきて、これでは寂しすぎる。

新たな始発駅に立っていると思えば、わくわくするものが有るのではないだろうか。
ここは始発駅だと思えば、あまりネガティブな気持ちにならずに済みそうだ。
始発駅に立つには、新たな夢を持つことだと思う。

最近の脳科学の研究によれば、夢を持っていると、その夢に無意識に関心が向かい、思いかけない量と質の情報が集まるようだ。
多くの情報を持つということは、その中から取捨選択をして判断ができることになる。
情報をあまり持たずに為される判断とは、決定的な違いが生まれる。
ものは考えようである。

始発駅に立ったつもりで、新たな夢を持てば、もっともっと人生が楽しくなるだろう。

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