ボーっと生きていると、ボケてくるようだ。
しかし、何かやるとなると大なり小なり葛藤が生じる。
たぶん、ほどほどの葛藤なら脳の刺激になって、ボケ防止に役立つのではないかと思う。
暇過ぎると、自分の存在を確認できなくなり、つまりないことばかり考えて、幸福感を失うような気がする。
‘小人閑居して不善をなす’という言葉がある。
どうしようもない人間は、暇になるとろくなことをしないという意味だ。
四書五経のうちの『大学』が出典である。
この言葉のうち、カンキョは‘閑居’だと思っていた。
ヒマしてる人間ということだ。
しかし、原典をみると「小人閒居爲不善」とあり、カンキョのカンは‘閒’となっている。
ただヒマしてる場合、門構えの中に’木‘だが、この場合は門構えの中に’月‘である。
’特にすることもなく一人でいる‘ことを表している。
ただヒマして、屋敷の中の木陰でボーっとしているのと、一人で月を眺めてボーっとしているのとの違いだろうが、なんとなくボーっとの具合の違いが分かるような気がする。
‘葛藤’とは、葛 (かずら) や藤 (ふじ) のことで、枝がもつれ絡むところから、感情や意見がもつれて複雑化することを指している。
人はできるだけ葛藤が生じる場面を回避しようとする傾向があるが、長生きするためには多少はあったほうが良いのかもしれない。