ワイドショー大変だよと些事あおる

川柳徒然草
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政治資金の裏金問題で、ワイドショーがにぎわっている。
テレビでは、いつも何かのお話題がを見つけ騒いでいるが、よくあんなに話題があるもんだと、妙なところに感心する。

ワイドショーという形は、日本独特のものらしい。
さまざまなニュースを、一種のショーとして取り上げている。
もともとは、低視聴率の打開策として企画されたものであり、テレビ局内でも’報道部’の管轄ではないようだ。

もともと’マスコミ産業’は、何か’変事’が発生した時に、その詳しい情報を知らせることによって、ビジネスが成り立っている。
しかも、その’変事’が’大変なこと’と認識されなければ、その情報は売れない
したがって、大事件が起きたとを騒ぎ立て、情報を買って貰うことによって、’経営’を成り立たせる。
テレビや映画に出る江戸時代のシーンでは、‘瓦版売り’が‘大変だよ、大変だよ’と叫んで瓦版を売っているが、あれがマスコミ産業の原点である。

瓦版に書かれていることが、’大変’なことと思わせなければならないから、おおげさに騒ぎ立てるのである。
大変だと思わせ、興味を持たせることによって、瓦版を買う気が起きる。
したがって、瓦版売りは小さなことでも’大変’だと騒ぎ立てる。

外国の映画等でも、街角で新聞売りが大事件を大声で騒ぎ、新聞を買わせる光景が出てくる。
大変だと思わせ、興味を引き付けて新聞を買わせるという、万国共通のビジネススタイルなのだ。

テレビのワイドショーも、同じ動きをする。
テレビの場合、瓦版や新聞と違うのは、その情報を’買ってもらう’のではなく’見てもらう’ことが重要となっていることだ。
つまり、’視聴率’を上げることで、広告が集まり、経営が成り立つ、という仕組みである。
そのため、いつも’大’事件を起こして、番組を盛り上げなければならない。
したがって、いつも’大’事件を探す必要があり、無ければ作り上げる必要がある。
そこで、小さな事件でもを大きく仕立てあげて、’大事件’にする。

ワイドショーは、‘有名’な司会者の個性や話芸と、政治経済から、国際問題や感染症まで取り上げる。
そして、何事もこなせる’万能のコメンテーター’による解説や、現場中継、記者のリポートなどを多様に織り交ぜて、見る者を飽きさせない工夫が盛られている。
内容に、情報の深さは求められない。
要するに、暇つぶしのための‘話題’をたっぷり詰め込んで、視聴者を飽きさせないようにして視聴率を稼ぐ。

問題なのは、そのあおりに乗せられて、しっかり信じ込む視聴者が多いことなのだろう。


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